フォト

rock show

  • ちなみに「五岳」店内風景は…
    単独の展示会を2回やらせていただいたことがあります。 2005年3月、長野市在住の頃お世話になっていた画材店「五岳」さんの吉田店の店舗内外ガラス壁面を2週間お借りしました。「ウィンドウ・ジャック」と題して作品だけでなくサポートしていたチームの応援グッズやスポーツへの入れ込みをパネルなどにして展示しました。 2009年3月、平塚市のスポーツ・バル「モト・ロッソ」さん店内のギャラリー・スペースを一ヶ月お借りしました。湘南ベルマーレの選手やサッカーの絵を中心に開幕ダッシュを後押しすべく「暑苦しく」展示しました。

as you like it!

  • モノトーン
    クリスの画風を気に入ってくださったアスリートの皆さん!あなたの輝きを永遠にしませんか?お気に入りの写真をお送りいただけば、それを写真とはひと味違う、情熱の一枚にしてお届けします。 料金例: A4サイズでフルカラーなら¥60,000、モノトーンなら¥30,000から注文をお受けします! (ご連絡は「プロフィール」の「メール」まで!) 作品例をこのアルバムにアップしておきます。発注なさるときの参考にしてください。

hot legs

  • 世界で一番お前が好きだーっ!
    2007年4月1日、クリスの初めての画集が出版されました。 嬉しかったな。書店を1日ウロウロしてました。 (ご購入ご希望の方は直接クリスまでメールで!)

aquatics

  • splash!
    愛すべき水生生物 - スイマーたち。 特に男子選手は「ミケランジェロの息子たち」と命名しております。

Gambino & other favorites

  • ドイツ大会のアポロン
    ガンバの選手を中心に「鈴木隆行以外」のお気に入りの選手をピックアップ!

turn yo wheels

  • Turn
    あたしが車椅子バスケットボール(イスバス)にハマったのは一重に仙台市の宮城MAXのエースにして日本代表のガード、藤井新悟選手の存在です。

not enough

  • Ish
    2003年から社会人サッカーを応援しています。特に地域リーグ。 さあ、素晴らしき4部の世界へようこそ。 (ここに掲載されているのはプロ球団に所属している選手ではありません。個別に掲載許可も取っていませんので、各々のページへのコメントは控えます。分かる人には分かる、ってことで。)

agony and passion

  • Before全国区
    あたしがサッカーを描くようになったのは鈴木隆行選手のプレーを見て「この人を描きたい」と思ったのがきっかけです。 描きたいものを見失っていたそれまでのクリスの絵描魂に火を付けてくれた鈴木選手には「感謝、永遠に!」です。

soccer critiques

  • 風景
    2007年6月-2008年3月に発売された「サッカー批評」のvol.35-38に連載された小宮良之さんの「カンプ・ノウで刻まれた想いを胸に」の挿絵を担当させていただきました。 地域リーグを応援してきていつも選手に「全国目指すぜ!」ってえらそうに言ってきましたが、ようやくクリスも全国デビューを果たしたのです。

approved and accepted

  • Splash!
    ここではコンテストで入賞、入選した作品を中心にアップしています。 現在はもう参加していませんが、講談社フェーマススクールズさんにはお世話になりました。全然絵が描けなくなった自分を何とかしたいとKFSの通信講座に入会して基礎を一から勉強し直し、卒業後はアートコンテストで特別賞をはじめいろんな賞をいただいて自信をもらいました。入会当初の目的だった作家名鑑「イラストック」にも卒業翌年から連続して6年間掲載していただきました。感謝しています。

2015年8月30日 (日)

Be my Boy!

先日フィギアスケートの羽生結弦選手がTV出演していてあたしと同年代くらいの女性から「こんな息子がいたら」とか「どうしたらあなたのような息子が育つのか」といった質問が届いていた。
「こんなの羽生君じゃなくて羽生君の親に聞くことだよね。」
一緒に見ていた娘に呟いた。
「ファンだからきゃあきゃあ言ってるだけでしょ。」
「ファンなの?男として好きってことよね?じゃあ、どうして息子ってキーワードが出てくんのよ?」
「ほかに共通の話題がないとか?」
「あたしはスポーツ観戦が好きけど、アスリートを見て息子になってほしいとか思わんな。」
「白井健三君かわいい、くぁわいいって言ってたじゃん。」
たしかに白井くんはかわいらしい。
彼の発展途上の肉体も美しいと思う。
だけれども、彼に息子になってほしいとは思わない。
第一あたしからあんな立派なアスリートが生まれるとも思わない。
そもそもな羽生君や白井くんが家にいたら落ち着いて屁をひることもできない。
あたしはあたしのこどもが良い。
あたしが産んで、一生懸命育てた息子と娘の方が良い。
でも世界陸上の合間に挟まれるTVCMに出てくる白井君は愛らしい。
なにがそんなにかわいいのか。
着地が決まった直後に見せる笑顔だ。
そしてそんな彼を見て、彼に息子になってほしいとは思わないが、(ああ、あたしの息子にもこんなふうな笑顔を見せてほしい)とは切に思うのだ。
人生を賭けるほど打ち込めるものを見つけ、それに向けて懸命に努力し、目標を達成して歓喜しているところを見せてほしいのだ。
あたしはずっと絵に打ち込んできた。
たいして出来も良くなく、期待もされなかったあたしだが、絵を描くことだけは父はずっと応援してくれた。
父も絵を描きたかったのだ。
でも親に反対され、諦めた。
彼は後にやりたい仕事を見つけ、それで成功し、彼なりに楽しい人生だったのではないかと思う。
あたしが描きたいものがわからなくなって自分を見失い、描けなくなった時には「絵がすべてではない」と言った。
一方であたしがサッカーに出会いスポーツを描いて行こうと決めたことを伝えた時はとても喜んでくれた。
父はあたしが絵で成功すればよいとは思ってくれていたが、それ以上にとにかく娘が幸せであればと願っていたのであろう。
あと5年で東京五輪だ。
あたしはスポーツを描いているので楽しみにしている。
だがこのところのエンブレムパクリ騒動は非常に不愉快だ。
あたしが絵を選んだのは好きだというのが一番だが競争しなくてよい世界だからと思っていたことが大きい。
その後なんどもコンテストやオーディションで落とされ、アートの世界も競争があることを知ったけれども。
それでもあたしはこの年になるまでそれもまた実力の世界だからと、信じていたのだ。
絵がうまいだけじゃプロにはなれない。
わかってる。
だけどこのコピーペーストの感覚バーチャル世界ではうまくなくてもプロにはなれる。
上手く何かを組み合わせて上手く媒体にのせることができればそれで良いのだ。
一連の騒動はあたしにそんな諦めを抱かせる。
そこには対象に対する愛情もリスペクトもない。
実力があるから、選ばれたのではないのか?
我々アートを志す者の代表ではないのか?
スポーツを描いている者として、アスリートを愛しているものとして、悔しくてしかたない。

2015年5月10日 (日)

親バカ一代

あたしは子供を産みたくなって結婚した女。 それまでは自分が結婚するなんて考えられなかった。 あたしの母はあたしに母親の幸せというものを何一つ示してくれなかった人だから。 家族が恐ろしかった。 何が悲しくて「寂しい迷い子」をまた一人増やす必要があるのだと。 でもあたしは一生出産を経験しないまま死ぬのは嫌だった。 どうせなるのなら、日本一カッコいいお母ちゃんになってやろうと思った。 おにいちゃんがおなかに宿ってから少し考えが変わった。 なにしろこの腹の中のエイリアンはあたしの思い通りになんかなりはしない。 それは外へ出てきてからさらに傍若無人な振る舞いに及ぶ。 いつしかあたしは思った。 (カッコなんかつけてられへんわ!) 三人の子供を母乳で育てる中であたしの理想の母親像は固まった。 愚かで健やかで、朗らかな母親であろうと。 知識重視で脆弱且つ不機嫌な母親は一種「社会悪」なのだと。 あたしは飯を炊くしか能のない女だからこどもには「学校に遅刻しても朝ごはんは食べていきなさい」と言ってきた。 こどもにきちんと食べさせることだけに命を懸けてきた。 こどもに転校のたび何かトラブルがあってもただオロオロとして一緒に泣くことしかできなかった。 勉強も教えると感情的になり、進路についてもなんら的を得たアドバイスなどできなかった。 相方の余命を宣告されたときもなかなか子供たちに伝えることが出来ず、彼らの貴重な父親との最後の時間を奪ってしまった。 そんなどうしようもない愚かな自分にほとほと嫌気がさした。 でも、子供たちはいつも聡明で、健気で、なにより強かった。 あたしは相方の闘病中胆石で緊急入院したのだが、その時もこどもたちだけで気丈に生活していてくれた。 1年ぐらいたって、そのころの末っ子の先生が懇談会の後で教えてくれた。 「〇〇くん、お母さんが入院していたころ放課後に一人で泣いてたんですよ。大丈夫かって声をかけたら(もう、だめだ、もうだめだ)って。僕どう声をかけてあげればいいかわかりませんでした。」 同じく父親をがんで亡くしたその先生は涙ながらにそう言った。 あたしはこれを聞いて思った。 (あたしは絶対死なない。この子が自立するまで倒れたりもしない。) 愚かでも、健康で明るい自分を取り戻すことがこどものためだと思い知った。 あたしは親バカと馬鹿な親は違うと思う。 あたしは子供が出来て思ったものだ(これで誰に遠慮することなく思いっきり愛していい相手が出来たのだ)と。 あたしは本能にできるだけ従ってこどもと対峙してきたつもりだ。 所詮バカなのだ。 今さらエラそうぶってもすぐに化けの皮が剥がれる。 こんなあたしがこんな素晴らしい3人の親でいられるのはひとえに周りの皆さんのおかげだと思っている。 あたしは彼らに食べさせ、彼らの体を育てた。 母親の仕事は18歳までと思っている。 末っ子はおかげさまでこの秋にその年齢を迎える。 あたしのかわいいこどもたちの社会性は、世の中の皆さんに育てていただいたと思っている。 だから世の中のあたしより年長の皆さんには出来の悪い後輩として感謝しているし、あたしより若い皆さんはあまり頼りにならない先輩だけど少しでも助けになれればと願っている。 自分の子供にはなにもエラそうなことを言えないけど、後輩たちには反面教師でもいいから参考にしてもらえればと思っている。 今日はこの国のあちこちであたしのかわいい坊やたちがサッカーを楽しんだことと思う。 どうかいつまでも、みんなで一緒に、サッカーで幸せになろう。

2015年3月 2日 (月)

まわれ観覧車

日曜日に初めてよみうりランドに行った。
小田急の駅から坂道を上ると丘の向こうから「●●の巨人」よろしく大観覧車が姿を見せた。

♪よみうりランドの観覧車を覚えてる♪

一青窈の唄にある。
サッカーを見に行ったので用があるのはベルディ・グラウンドの方。
でも試合の間中背後から休日を楽しむ人たちの嬌声が聞こえた。

(ああ、これはエキスポランドに似ているな。)

父は割とよくあちこちあたしたちこどもを連れ歩いてくれた。
遊園地の記憶があるのはエキスポランドといまはない横浜と奈良のドリームランド。
でも、サッカーとセットとなると万博のエキスポランドだ。

10年前ガンバ大阪の少年サッカー教室に当選したので末っ子を万博のガンバ練習場へ連れて行った。
当時小学2年生の彼はまだ母親の希望通りサッカーを習っていた。
その時末っ子の班の担当だったのが今はバンディのゴールマウスを守る日野選手だったというのも何かの縁かもしれない。
あちこち流浪の身の上のあたしにとって、自分が育った場所で自分が好きなことを自分の子供とともに体験するのはとても希少な機会であった。

10年のうちに末っ子はサッカーをやめ、いまは神奈川県の高校生。
今朝登校したと思ったらすぐに帰ってきた。
自転車がパンクしたという。
慌てて車で学校へ送り、取って返して自転車屋に修理を依頼しに行く。
今は試験期間なので昼過ぎには「お迎えメール」が入り、高校へ迎えに行く。
ここ5年ほどはずっとパートで働いていた。
去年、同じことが起こっていてもあたしは家にいないか、いたとしても午後から仕事で出なければならない状態。
久しぶりにきちんとこどもの面倒が見れることに感謝。
年齢的なこともあり、今、パートの仕事を得ていないことに若干の不安はあるが、こういうことがあると収入は少なくても在宅の仕事でよかったと思う。
しばらくは、ここ5年のあわただしさからの「休憩時間」だと思おう。

今日から娘は就活スタート。
おにいちゃんも勤務先が変わり、皆がそれぞれ節目の日だ。
犬の頭をなでながら、ただ彼らの都合に合わせて動ける人間であれたことに嬉しさを感じている。
そんなことを思っているとガンバ大阪から予約していた三冠達成記念グッズが届いた。
これぞまさにちょっとした「ご褒美」だな。

2014年4月18日 (金)

髪の毛ほどにも成長していない

長男が独立した。
おにいちゃんを駅に送って帰るひとりの車中、突然涙がポロポロ流れ出し、うおんうおん泣きながら運転した。

なんでこんなに寂しいんだろ?

もう二度と帰って来ないからだ。
あの子とあたしの甘やかなこども時代。

仕事にも身が入らず、ぼーっとしてるのは花粉症のせいなのか、ただの感傷か。
で、眼鏡を新しくしてみる。
彼の部屋を片付けて模様替えを敢行。
晴れた日には鯉のぼりをあげる。
サッカーの試合に行ってみる。

いい年をして動揺している。
まだまだ成長の余地があると見るべきか?

そうこうしているうちにまた週末が来ておにいちゃんが残りの荷物を取りにくる。

お昼ご飯を食べさせながら「で、どうなの?」「ちゃんとやってるよ。」なんて話をしているうちに、もう、落ち着かなくなってくる。

そう、もう彼の居場所はあっちのアパートに移り始めてる。
なにしろあたしたちがこの借家に移ってきたのだってほんの二年前。
「ふるさと」などとはとても呼べない。

あたふたと荷物を車に運び込んで再び彼の「小さなお城」へ。
おにいちゃんのコンパクトなキッチンに買い揃えた調味料を置いていく。
出来るだけ自らの「失敗談」を伝えて同じ間違いをおかさないよう願う。
自慢話なんて役に立たない。
成功の仕方は人それぞれだけど、間違いは皆同じ道を通ると思うし、失敗のカバーの仕方の方が役に立つ情報だと思うから。

帰りの車中、また一人になったら泣いちゃうかな…と思ってた。
でも、そうでもなかった。

(自分、結構人生味わってるやん)

ひとりだから寂しい。
でも、ひとりだからこそこの寂寥感も充実感も、全てあたしのものだ。

誰のものでもない、これがあたしの人生だ。
これが、あたしが一生懸命作り上げてきたあたしの家族の物語なんだ。

2014年3月20日 (木)

子を持って知る子のありがたさ

うちのお兄ちゃんが大学を卒業しました。

大変な4年間やったんやないかと思います。 進路を決める時期に父親がリストラされ、選択の幅が狭まってしまいました。 1年生の時には父親が病を得て闘病生活になりました。 2年生の時に父親が死亡。 3年生から家庭環境が大きく変わりました。 4年生の時には援助してくれていた祖母も亡くなりました。

家では寡黙で不在がちな彼が日々何を思っていたのか母にはわかりません。 ただ不安と混乱の中毎日泣きながら走っていたような母にとっては時には父親の代わり、時には親友となってあたしを支えてくれた彼には感謝の思いでいっぱいです。

思えば6歳の時に始まった彼の引っ越し人生。 親に付いて北海道、長野、兵庫と移動し、兵庫の高校では寮生活。 大学はずっと神奈川やったけど、親の経済状況に合わせて2回も引っ越させてしまいました。

そして来月、勤務地近くで一人暮らしを始めます。

これだけ親に振り回されたら、早く独り立ちして自分の人生を切り開きたいと思うかな。 やけど、やはり母はまだまだきみにしてあげたりないことがたくさんある。 「子を持って知る親の有難さ」とはよく聞くが、あたしにとっては「子を持って知る子の有難さ」やった。 支配的な親の元でいつも(あたしのような出来損ないは生まれてこなかったらよかったんや)と自己否定感いっぱいで育ったあたしにとって、無条件で慕ってくれる子供の存在は(自分も生きていて良かったんや)と思わせてくれた。

第一子とは損な役回りで、どんな時も「親にとっても初体験」なので、お兄ちゃんは期待感もいっぱいやけど、緊張感もいっぱいで育ててしもた。 きみがあたしのような出来損ないを、いっぱしの「親」というものにしてくれた。

あたしの前を歩くきみの背中はとてもたくましい。 だけれども、きみはあたしよりずいぶんと背が高いはずなのに、どうしてこんなに小さく見えるのだろう。 まだまだ頼りないきみだけど、これからは一人の社会人として対峙しなければならないんだなあ。

2014年2月26日 (水)

引き継いだ役目

4年前、相方ががんの告知を受けた時

「5年は頑張りたいな」

まだ余命宣告はされていなかった。

当時長男は大学、次男は中学に入ったばかり

長女は高校2年だった。

「そしたら少なくともおにいちゃんの就職、おねえちゃんの大学と末っ子の高校入学は見届けられる。」

願いむなしく、闘病1年で相方は逝った。

49日明けに娘の志望校合格が発表された。

一年前のいまごろ、末っ子の志望校合格の連絡が入った。

もう夢中だった。

なんとか、相方が最後まで気にしていた三つのことだけは、どんなことがあっても無事に、子供たちが望む形で成就させてやりたい。

なんとか、あたしが倒れることなく、経済的な理由で子供たちが希望を断念することのないように、必死にやってきた。

それがあたしに託された相方の遺志だった。

もちろん、もっともっと、彼が気がかりだったことはたくさんあったと思う - けれど、とにもかくにもこれだけは、何としてでもやり遂げなければならないと思ってきた。

おにいちゃんが就職しないと言い出したときはどうしたらいいのかわからなかった。

やりたいことが見つからない、と言う。

あたしはなにもしてやれない。就職先を世話してやることもできない。

これさえ叶えばもう、死んでもいいとさえ思っていたのに。

今日おにいちゃんから「内定貰ったよ」という言葉を貰った。

久しぶりに、こどもの前で泣いた。

2012年10月11日 (木)

娘の誕生日

娘が19才になった。
これで相方が亡くなってから子供みんなの誕生日を迎えた。
親は無くとも子は育つ…か、悲しいものだな。

「母親の仕事は18才まで」
ずっとそう言って引き算で育ててきた。
上の二人が手を離れて、もっと絵を描いて…
そんなのんきな夢をほんの4-5年前までは描いていたのに。
母親を引退したら今度は父親の仕事が待っていたとは。

昨日ジャイアントキリングがあった。
ちょっと前ならなんもかんもほっぽりだして現地にいたかもしれない。
でもあたしには仕事があって、こどもの世話もある。
この時期は社会人サッカーにとっては大一番が目白押し。
ただ高校受験の進路決定の時期でもある。

娘は4年前不登校に陥って不本意な高校受験となり、3年間がんばって望んだわけでもない高校に通った後、今年父親の死を乗り越えて志望大学に入学した。
今は末っ子の進路決定に伴い学校に赴いたり、塾の面談に通ったりしている。
娘の時はとにかく不登校に気を取られているうちに時間が過ぎてしまった感じだ。
天皇杯も全社も地域決勝すらも2ch頼みであたしはひたすら娘と向き合った。
末っ子の場合は別に問題があるわけではなく、ただただ勉強が出来ない。

いずれにせよ頭の痛いことだ。
あまりこどもに自分の夢を乗っけるタイプではないのだが、やはり一番落ち込むのはこどもに関わる芳しくない状況だ。
でも相方がいなくなってから気づいた。
希望というもの、先への望みというものを一番感じるのもやはりこどもの将来に関することなのだ。

悩んでいても仕方がない。
娘のお祝いはもう連休中に先に済ませた。
今日は昼を食べたら仕事だ。
9時頃まで、がんばって稼ぐ。
あたしに出来るのはそれぐらいしかない。

2012年9月26日 (水)

末っ子の誕生日

15才になった
えらい14才やったな。今年は楽しい一年にしような。
まあ、受験が大成功に終われば何はともあれ楽しくなるな。
それがまた、えらいこっちゃねんけど。

三人兄弟の末っ子やから、30過ぎてから産んだ子やから、もう孫みたいなもん。
かわいい、かわいい、だけでもう15年。
そやのに14才で父親を失ってしまった。

昨日はおばあちゃんの79回目の誕生日。
一日違いの誕生日の孫をかわいがってくれる。
でも最近もう色々わからない。
息子を失ってしまったことも時々忘れてる。
自分の誕生日もわからない。
リュウマチに負けずに二人の子供を育て上げたのに。
時々思い出しては「なぜ変わってやれなかったか」と泣くそうだ。

あたしは14歳の時アメリカに行くことが決まった。
15歳と4ヶ月で渡米した。
人生が変わった。
人生が変わるのに早いも遅いもない。
でも、やはり、こんな風に息子の人生が変わってしまったことが悔しくてならない。
不憫だと、嘆き悲しんで毎日を過ごすわけにはいかない。
お母ちゃんと前を向いて歩いていこう。

2012年7月14日 (土)

成長

昨夜は今の仕事になってから初めての居残り授業。
あたしは基本毎回の授業プランを準備してそれを実施する。
終業時間までに予定を納める事をある意味至上命題にしている。

15年程前も4年ほど英会話を教えていた。
あの頃はただ自分の技術と知識を伝えればいいと思っていた。
「先生」と呼ばれるのも面はゆくて「クリスさん」と呼んでもらっていた。
でもあたしももう三児の母を15年近くやっている。
小学生から見ればもう、押しも押されもせぬおばさんになった。
いつまでも「大人」になることを拒絶していられない。
準備したものを時間内に実施する授業スタイルは変わらない。
でも、この春から再び教えることを生業として三ヶ月がたつ。
気がついたのは少し余裕がでたからか。
生徒の成長を手助けすることに喜びを見いだしている。
以前は生徒が正しい発音が出来たりすると(ここで褒めなきゃ)という感じだった。
だが今は、生徒が何かを乗り越えると自然と大喜びして褒めている自分がいる。

昨日はサッカーをがんばっている女子中学生へのマン・ツー・マン。
将来はなでしこ…とまではいかなくても、海外のチームに挑戦したいらしい。
目的が明確な者は強い。
教え甲斐があるので毎回張り切ってサッカー・ネタを織り交ぜながら授業をしている。
部活の後で疲れているだろうに、あたしのテンションの高い授業についてきてくれる。
眠い目をこすりながらワークブックに取り組む12才。
いつもは時間内にワークが終わらないと宿題にする。
でも昨日は時計にも目をやらずにがんばる彼女を見守りたくなった。
時間オーバーしても、最後までやり遂げた彼女を見て思わず「よくがんばったね!」とスタンディング・オベーションしてしまった。
最後のバスに乗り遅れ、小雨と強風の中とぼとぼと家路をいく。
でも「指導者」としてのあたしを成長させてくれたみらいのなでしこに感謝の気持ちでいっぱいだった。

2012年5月30日 (水)

小さな幸せ

Whitney HoustonにDonna Summerと
あたしの青春を彩った歌姫が次々に亡くなってちょっとショックです
なんかどんどん天国の方が楽しそうな場所に見えてくる

バンディはね、もうね、がんばってもらうしかありません
アウェー・サポのあたしが言うことはこれ以上ありません
あたしも仕事がんばるんで、チームの皆さんも諦めないで!

でね、うちの末っ子は勉強が出来ないんですよ
今年は高校受験なのに、どうするんだろうって…
確かに順調に日本一のマザコン息子に育ってきています
でも、お父ちゃんが亡くなった今、そうも言ってられないわけです
おにいちゃんはテニスでなんとか大学まで行きました
おねえちゃんは学校生活に困難を極めながらも何とか希望する大学に入れました

末っ子はまだやりたいことが見つからない
方向性すら見えていない
その上授業で先生の言っていることが分からない
(まあ日本語がしゃべれない先生も多いけど…)
その上表現力もあまりないと来ている
だから親のサポートにも限界があるから
苦しい財布をひもといて春から塾に入れました

昨日入塾後初面談があったの
「ご子息は良い状況にあります。今までは勉強のやり方が分かってなかっただけです。」
見せられたのは毎週行っている習熟度確認小テスト
全部100点だった!
もちろんつきっきりで分かるまで教えてもらってるんだ
100点取れるまでしごいてくれなきゃ授業料返せ、だ

にしても…
末っ子の100点答案を見るのは小学校低学年以来だ
「大丈夫ですよ。この調子で志望校を目指しましょう。」
もうね、泣きそうになっちゃった
娘の大学合格より正直嬉しかった
相方が亡くなって、なんにも嬉しいことなんか無かったよ
でも昨日久しぶりに(明日もがんばろう)って気持ちになれた
大学出たって就職先のないこの時代
大学にも行けそうにない息子が心配でしょうがなかった
もう金の力でどうにか出来るものでもない
親のコネがあるわけでもない
末っ子の行く末をもの凄く悲観していた
相方も末っ子のことが一番心配だと言っていた
昨日は久しぶりに良い報告が出来たよ

でも、受験はまだまだこれから
気を引き締めてがんばっていかなければね
あたしももっと学費を稼がないとッ!
でもとりあえず、昨夜は末っ子の大好きなたらこスパゲッティを山のように作った
「息子よ、よくやった!吐くまで食え!」

愛しているよ

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ