18612
10年ぶりに長野に行った。
もうエルザはない。あのころの南長野には帰れない。
そう思って、10年間サッカーの旅を続けてきた。
5年前、JFL昇格をかけた地域決勝を見に行った。
長野サポーターの後輩たちと合流してともに応援し、昇格を果たした時の気持ちには今も変わりはない。
ただ5年前は自分自身の落とし前を付け、チームから卒業し、後輩サポーターたちの前途を祝しにいったのだ。
でも、今回改めてあの町に戻り、新しいスタジアムを訪れ、たくさんのお客さんを見た。
そして思い知ったのだ。
ああ、あたしはなんてひとりよがりだったろう。
あたしのように気が付けば移動ばかりしている人間はいかに自分がとるに足らない人間で、あたし一人がいなくなっても世の中来れっぽっちも困らないことを骨身に染みて理解している。
だからこそ、後にしてきた土地の思い出になど浸らず、新しい場所で自分の存在意義を見出すためにいつも必死だった。
今回の長野への道の間中、へんな心持だった。
車がなにかタイムマシンのようで、ずっと変な笑い声を上げていた気がする。
あたしはナーバスになっていた。
過去に対峙しなければならない。
過去に責任をとらなければならない。
過去を清算しなければならない。
ところが
ちっぽけなあたしのくだらない緊張をあの素晴らしいスタジアムが吹き飛ばした。
ああ、そうだよ。
サッカーはみんなのものだ。
だからエルザは、パルセイロは最初から長野の街の皆さんのものだったんだ。
あたしはただ、他所からやってきてこの美しいチームの苗木を見つけ、少し育てる手伝いをしたにすぎない。
それをいつのまにか「あたしのチーム」だと勘違いしただけなのだ。
招待してもらったんで、あたしの目の前には美しい芝生。
ピッチだけは10年前と変わらない。
そして10年前、こんなにも立派ではなかった球技場であたしはいつも客席と芝生を自由に行き来していた。
いまもあたしとピッチの距離は変わらない。
でも、今のあたしは目の前のピッチと客席を隔てるバーを審判のジャッジに抗議するふりして蹴り飛ばすことしかできない。
昔応援した選手が今もプレーする選手を追いかけてあたしと一緒に不安そうに出待ちをしている。
昔はすぐ目の前の公園事務所がクラブハウスで、彼もあたしも自由に出入りできた。
シャワールームにだってめんどくさいから出入りしていた。
選手はやっぱり現役の内が花。
あたしたちサポーターは少しずつ下から上に上がって行く中でどんどんサポーターとしての知識もスキルも上がって行く。
選手がいきなりあたしたちサポーターの中に入ったって、同じようにはできない。
10年ぶりにいろんな人に会いに行った。
大人になってからの10年なんてあっという間。
でもこの10年、本当にいろんなことがあった。
実は相方を失ってからあたしの自己評価は地に落ちていた。
社会的にも、経済的にも、相方なしではまともに相手もしてもらえない。
こどもにも満足に教育を受けさせたり美味しいものを食べさせたりできないじゃないか。
旧知の人々と、別に特別なことを話すわけではない。
でも、思った。
ああ、あたしにはこんなにもあたしを心配してくれる人がいるではないか。
相方の仕事の関係で住むことになった地ではあったけど、この人たちはあたしが、あたしのご縁でつながった人たちだ。
あたしの話に耳を傾け、あたしの夢を応援し、あたしの困難を助けようとしてくれた人がこんなにもいたではないか。
5年前ですら、やはり自分は一人であるのは変わらないと思っていました。
ですが今回の旅で、自分は一人ではないと実感しました。
だからあたしがいなくなったくらいでその街は消滅したりしないし、だからこそきちんとその街に気持ちをかけ続けなければいけないとも思いました。
こんどからは責任感でも罪悪感でもなく、愛着の気持ちでもって。
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