千里万里の想いを超えて
去年PCとスマホを買い替えた。
慣れないもので、いまだに機能が使いこなせていない。
で、まあ、PCのイメージディスプレイが勝手にデスクトップ画面に登場して頼みもしないのにメモリーに内蔵されている古い画像をスライドショーで見せてくれる。
何でそんなことになったのかわからないので、どうやって消したらいいのかもわからない。
そのままにしているので毎日毎日、あたしの家族の以前の姿を顧みることになってしまった。
まだこどもたちが幼かったころ。犬が子犬だったころ。相方が、元気だったころ。
ここへ引っ越してくるとき、かなりいろんな写真やアルバムを捨てた。
そもそも以前からあまり昔の写真を懐かしんで見る習性もなかった。
だから本当に久しぶりに10年20年ぶりに見るようなものばかり。
(ああ、こんなにもかわいかったんだ。愛しかったんだ。)
毎日毎日、PCを立ち上げるたびに思ってしまう。
失って初めて知る大切さ。
自分はなんて愚かだったのだろうと思い知る日々である。
天国に行ってしまった相方はもとより、こどもたちも、もう二度とこの愛らしいこどもの日々は帰ってこないのだ。
今年の梅雨は雨が多い。
毎日毎日、鬱陶ししいね。
平塚の七夕まつりも結局ずっと雨だった。
七夕の夜くらい晴れてほしいのに、今夜も雨だってね。
一年に一度でも、会えるのならいいじゃないか。
もう二度と、会えないことがあるなんて。
さよならだけが人生だ。
ああ、ああ、なんて馬鹿だったんだろう。
ブログはかなりご無沙汰です。
フェイスブックの方がお手軽だもんね。
インスタグラムも始めてしまいました。
あたしはあまり写真を撮られるのが好きじゃないの。
昔からそうだったけど、最近は特にすっかり太っちゃったし、老けてきたし。
自撮画像をアップするような人は自信があるからだよと、決めつけてた。
でも、PCのスライドショーを見ながらふと思ったの。
あたしはこの人たちの中にいて、この人たちとともに生きている。
この人たちと一緒にいる自分を見ることで初めて自分を客観的に視ることもできるのじゃないか。
逃げてはダメなのだ。
逃げたければ、逃げたいほど嫌な自分なのなら、自分を変えなければならない。
自分だけ逃げながら、大好きな人たちの画像をホイホイ上げているのは失礼だ。
そう思って、醜い自分を直視することにしました。
なんや最近このぶっさいくなおばはんをSNSで見ることが増えたなあと思ってらっしゃる方がいらしたらごめんなさい。
ネットだけでつながっている方もいて、(元気そうで安心した)とおっしゃってくださる方もいるのです。
せめてみなさんを不愉快にしないよう、楽しいシーンをアップできるよう、つまりはあたし自身がもっと人生を楽しんでいこうと、そう思っています。
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